蓮華草のブログ

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。(中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫)

身近な社会主義と共産主義

「ノルマ」はロシア語で、シベリア抑留から引き揚げてきた人々によって伝えられた言葉。たとえば上場企業が四半期ごとに成果を求められるのは事実上のノルマであろう。計画経済を実現するにはノルマの達成が必要になり、旧ソ連ではノルマを達成できなかった…

釈尊の登場

釈尊の生きていた年代は諸説あるそうが、中村元先生によれば紀元前五世紀頃で、この頃のインドは商工業が発達し、貨幣経済が栄えて都市部に富が集中し、富裕層が生まれ、カネが物を言うようになり、王さまなどよりカネのあるやつの方がエライという世となっ…

ダンマ信仰と日本文化

大乗仏教のご本尊は宗派によってお釈迦さまであったり阿弥陀如来であったり大日如来であったりするが、仏教本来の本尊的なものは「ダンマ」であり、これを瞑想により一切の主観性や恣意性を排し己れを無にして覚った者をブッダと呼ぶ。仏教徒もインド人口の…

「おおやけ」に宿る言霊 (ことだま)

台湾人で司馬遼太郎の通訳を務めた蔡焜燦さんは、「『おおやけ』の概念を日本人から教わった」と言っていた。これは奇妙な話で、台湾にも「公」の文字は当然ある。それなのにその概念を日本人から教わったとはどういうことか。日本語の「おおやけ」の語源を…

まとわり ~ 集団ストーカーの二側面と自由の剥奪

これは元警察官で「捜査するジャーナリスト」として活躍されていた黒木昭雄さんが著書で書いておられたことだが、昔はしばしば警察の不祥事が週刊誌等への内部告発などによって明るみに出て世間を騒がしていた。しかしその後、内部告発をするとたとえ匿名で…

地道な破壊活動 #3 日本社会の地盤はなぜ液状化してゆくのか

「転職ブーム」という言葉が使われ始めたのは、ネットで調べるとリーマンショック以降のようだが、 一九八九年にはすでに以下のような転職を推奨するようなCMが放映されていた。この頃はバブル真っ只中で、終身雇用の維持が難しくなっているような時期ではな…

ダンマパダで学ぶパーリ語 190 (423.)

423. Pubbe-nivāsaṃ yo vedi, sagg'āpāyañca passati, 宿住を 所の者 知りし 天界と苦界を/と 見る atho jātikkhayaṃ patto, abhiññā-vosito muni, 時に 生の尽滅に 到達せる 直観智を完成せる 牟尼 sabba-vosita-vosānaṃ, tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 一切の…

ダンマパダで学ぶパーリ語 189 (421. 422.)

421. Yassa pure ca pacchā ca, majjhe ca n'atthi kiñcanaṃ, 所の者 前に 又 後に 又 中間に 又 無し 何かが akiñcanaṃ anādānaṃ, tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 無所有の 無執著の そを/我は 言ふ 婆羅門と (また前に、また後に、また中間に何物かのあること無…

ダンマパダで学ぶパーリ語 188 (419. 420.)

419. Cutiṃ yo vedi sattānaṃ, upapattiñca sabbaso, 死を 所の者 知りし 有情の 転生/又 全て asattaṃ sugataṃ buddhaṃ, tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 執著無き よく行ける 覚れる そを/我は 言ふ 婆羅門と (有情の死を、また転生を全て知り、執著無く、よく行…

ダンマパダで学ぶパーリ語 187 (417. 418.)

417. Hitvā mānusakaṃ yogaṃ, dibbaṃ yogaṃ upaccagā, 捨てて 人の 結縛を 天の 結縛を 越へし sabba-yoga-visaṃyuttaṃ, tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 全ての結縛より離れたる そを/我は 言ふ 婆羅門と (人の結縛を捨てて、天の結縛を越へし、全ての結縛より離…

ダンマパダで学ぶパーリ語 186 (415. 416.)

415. Yo'dha kāme pahatvāna, anāgāro paribbaje, 所の者/此界に 欲を 断ちて 出家せる 遍歴すべかる kāma-bhava-parikkhīṇaṃ, tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 欲楽の有を消尽せる そを/我は 言ふ 婆羅門と (此界に欲楽を断ちて、出家し遍歴すべかりて、欲楽の有(…

ダンマパダで学ぶパーリ語 185. (413. 414.)

413. Candaṃ va vimalaṃ, suddhaṃ vippasannamanāvilaṃ, 月が 如く 垢穢無き 浄まれる 明浄となれる/濁り無き nandī-bhava-parikkhīṇaṃ, tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 歓楽の有を消尽せる そを/我は 言ふ 婆羅門と (曇り無き月が如く、浄まり、明浄にして濁り無…

地道な破壊活動 #2 ガバナンスはなぜ崩壊するのか

一言で言ってしまえば組織的に動かないからだが、では組織的に動くとはどういうことか、至極当たり前のことを見ていく。なぜそんな当たり前のことをわざわざ書くのかというと、そのような当たり前のことが、今や当たり前ではなくなって来ているからだ。 その…

ダンマパダで学ぶパーリ語 184 (411. 412.)

411. Yass'ālayā na vijjanti, aññāya akathaṃkathī, 所の者/執著 否 ある 了知して 疑ひ無き amat'ogadhamanuppattaṃ, tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 不死の境地に到達せる そを/我は 言ふ 婆羅門と (執着のあること無く、了知して疑ふこと無く、不死の境地に到…

ダンマパダで学ぶパーリ語 183. (409. 410.)

409. Yo'dha dīghaṃ va rassaṃ vā, aṇuṃ thūlaṃ subh'āsubhaṃ, 所の者/此界に 長き 或は 短き 或は 微小の 粗大の 浄と不浄の loke adinnaṃ n'ādiyati, tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 世で 不与の 否/取る そを/我は 言ふ 婆羅門と (此界に於て、或いは長く、或…

ダンマパダで学ぶパーリ語 182 (407. 408.)

407. Yassa rāgo ca doso ca, māno makkho ca pātito, 所の者 貪が と 瞋が と 慢が 覆が と 落ちたる sāsaporiva āraggā, tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 芥子粒が/如く 錐尖より そを/我は 言ふ 婆羅門と (錐尖より芥子粒が落つるが如く、その貪と瞋と、慢と覆…

ダンマパダで学ぶパーリ語 181 (405. 406.)

405. Nidhāya daṇḍaṃ bhūtesu, tasesu thāvaresu ca, 下に置きて 笞杖を 生類の間に 戦慄く 動ぜざる と yo na hanti na ghāteti, tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 所の者 否 殺す 否 殺さしめる そを/我は 言ふ 婆羅門と (戦慄(わなな)けると動ぜざる生類の間にあ…

ダンマパダで学ぶパーリ語 180 (403. 404.)

403. Gambhīra-paññaṃ medhāviṃ, magg'āmaggassa kovidaṃ, 智慧深き 賢き 道と非道の 達者たる uttam'atthamanuppattaṃ, tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 最上義に/到達せる そを/我は 言ふ 婆羅門と (智慧深く賢く、道と非道の達者にして、最上義に到達せるを、そ…

ダンマパダで学ぶパーリ語 179 (401. 402.)

401. Vāri pokkhara-patte'va, āraggeriva sāsapo, 水が 蓮葉の上の/如く 錐の先の/如く 芥子が yo na limpati kāmesu, tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 所の者 否 汚す 諸欲の為に そを/我は 言ふ 婆羅門と (蓮葉の上の水が如く、錐の先の芥子が如く、諸欲の為に(…

ダンマパダで学ぶパーリ語 178 (399. 400.)

399. Akkosaṃ vadha-bandhañca, aduṭṭho yo titikkhati, 悪罵を 打撲や捕縛を/又 悪無き 所の者 耐ふ khantī-balaṃ bal'ānīkaṃ, tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 忍力ある 強軍なる そを/我は 言ふ 婆羅門と (罵りを、また打撲や捕縛を耐ふる悪無き者、忍力ありて…

ダンマパダで学ぶパーリ語 177 (397. 398.)

397. Sabba-saṃyojanaṃ chetvā, yo ve na paritassati, 全ての結縛を 断ちて 所の者 実に 否 怖る saṅg'ātigaṃ visaṃyuttaṃ tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 執著を超越せる 離縛せる そを/我は 言ふ 婆羅門と (全ての結縛を断ちて、実に怖るること無き者、執著を…

ダンマパダで学ぶパーリ語 176 (395. 396.)

395. Paṃsu-kūla-dharaṃ jantuṃ, kisaṃ dhamani-santhataṃ, 糞掃衣を持せる 人を 痩せたる 血管の広がれる ekaṃ vanasmiṃ jhāyantaṃ, tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 独り 林に於て 禅定せる そを/我は 言ふ 婆羅門と (糞掃衣をまとひ、痩せて血管が現れ、独り林…

ダンマパダで学ぶパーリ語 175 (393. 394.)

393. Na jaṭāhi na gottena na jaccā hoti brāhmaṇo, 否 螺髪で 否 氏姓で 否 生れで 也 婆羅門 yamhi saccañca dhammo ca, so sucī so ca brāhmaṇo. 所の者 真実が/と 法が と そは 浄き そは 又 婆羅門 (婆羅門たる所以は、螺髪に非ず、氏姓に非ず、生れに…

ダンマパダで学ぶパーリ語 174. (391. 392.)

391. Yassa kāyena vācāya manasā n'atthi dukkaṭaṃ, 所の者 身で 言で 意で 否/ある 悪作 saṃvutaṃ tīhi ṭhānehi, tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 御せる 三で ある そを/我は 言ふ 婆羅門と (身によれる、ことばによれる、意によれる悪作(あくさ)のあること無く…

ダンマパダで学ぶパーリ語 173 (389. 390.)

389. Na brāhmaṇassa pahareyya, n'āssa muñcetha brāhmaṇo, 否 婆羅門を 打つべし 否/是に 放つべし 婆羅門は dhī brāhmaṇassa hantāraṃ, tato dhī yassa muñcati. 咄 婆羅門を 害す者に 其より 咄 其に 放つ (婆羅門を打つべからず。この者に婆羅門は怒り…

ダンマパダで学ぶパーリ語 172 (387. 388.)

387. Divā tapati ādicco, rattimābhāti candimā, 昼に 輝く 太陽は 夜に/輝く 月は sannaddho khattiyo tapati, jhāyī tapati brāhmaṇo, よく武装せる 戦士は 輝く 禅定ある 輝く 婆羅門は atha sabbamaho-rattiṃ buddho tapati tejasā. 又 常に/昼夜に 仏…

ダンマパダで学ぶパーリ語 171. (385. 386.)

385. Yassa pāraṃ apāraṃ vā, pār'āpāraṃ na vijjati, 所の者 彼岸が 此岸が 或は 彼岸・此岸が 否 有る vītaddaraṃ visaṃyuttaṃ, tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 怖れ無き 離縛せる そを/我は 言ふ 婆羅門と (彼岸(ひがん)、或いは此岸(しがん)、彼岸・此岸の有る…

地道な破壊活動 #1 二重寸法の嵐はなぜ吹き荒れたのか

製図法の基本として、例えばある部品に一つ穴を開けるとして、全体寸法と左端からの距離を記入した場合は右端までの距離は入れないか、括弧でくくって参考寸法としなくてはならないことになっている(二重寸法の禁止)。こうしておかないと、作る側はどちら…

ダンマパダで学ぶパーリ語 170 (383. 384.)

26. Brāhmaṇa-vagga バラモン (婆羅門の章) brāhmaṇa: m. 婆羅門, 婆羅門族 vagga: m. 群, 品, 章 383. Chinda sotaṃ parakkamma, kāme panuda brāhmaṇa, 断て 流れを 励みて 諸欲を 除け 婆羅門よ saṅkhārānaṃ khayaṃ ñatvā, akataññū'si brāhmaṇa. 諸行の …

ダンマパダで学ぶパーリ語 169 (381. 382.)

381. Pāmojja-bahulo bhikkhu, pasanno buddha-sāsane, 喜びに満てる 比丘は 喜べる 仏の教えを adhigacche padaṃ santaṃ, saṅkhār'ūpasamaṃ sukhaṃ. 到達すべし 境地に 寂静の 行の静まれる 安楽なる (喜びに満ち、仏の教えを喜べる比丘は、行の静まり安楽…