蓮華草のブログ

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。(中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫)

ダンマ信仰と日本文化

 大乗仏教のご本尊は宗派によってお釈迦さまであったり阿弥陀如来であったり大日如来であったりするが、仏教本来の本尊的なものは「ダンマ」であり、これを瞑想により一切の主観性や恣意性を排し己れを無にして覚った者をブッダと呼ぶ。仏教徒もインド人口の約八割を占めるヒンドゥー教徒も絶対的真理「ダンマ(法)」があることを信じて疑わない。あるに決まっていると思っている。いや、あるに決まっている。ないわけがない。

 インド教とも呼ばれるヒンドゥー教について調べると次のようになっている。

インドの民族宗教。本来、宗教という狭い意味のみではなく、インドの伝統的・民族的な制度・慣習の総体の呼称で、宗教的・倫理的・社会的な行為の規範すべてを内容とする。
ヒンドゥー教(ヒンドゥーきょう)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

 そして「ヒンドゥー教ではふつう,ダルマというだけでヒンドゥー教そのものを意味する」のだそうだ。ならば「ヒンドゥー教とはダンマのことだ」とも言えそうだ。

 「ヒンドゥー教」は Hinduism の訳語でインドにはこれに正確に対応する言葉はないという。ではインドの人々はこれを何といっているのか調べてみたが、残念ながらわからなかった。インド人の方に会ったら訊いてみたいものだ。そして「仏教」も日本では明治以降 Buddhism の訳語として使われるようになった言葉で、それ以前は一般的には「仏法」または「仏道」と言っていた。また「神道」は「日本書紀」にある記述が最初で、当時伝来した仏教に対して日本に古来からある信仰を指して言ったそうだ。そしてこの三つの信仰には共通点がある。

ヒンドゥー教はドグマをもたないといわれることがある。これは妥当ではあるが,ヒンドゥー教がまったく教義をもたないということではない。実際は,考えうるあらゆる種類の,しばしば相矛盾した思想・教義すらも説かれているのである。そのいずれもがヒンドゥー教の教義であり,その中のいずれか一つあるいは若干を取り出してヒンドゥー教の教義であるということは必ずしも妥当であるとはいえない。相互に論争があるとはいえ,多種多様な教義が同時に併存することができ,他の宗教に往々にして見られるような正統と異端をめぐる厳しい対立・抗争とは無縁であるという意味において,ヒンドゥー教はドグマをもたないのである。

ヒンドゥー教(ヒンドゥーきょう)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

 では仏教ではどうか。

現実(の苦)に即した教えをさまざまに説き、それは現実そのものの多様に応じて、教説も多種多彩に展開し、これを「対機説法」「人を見て法を説く」「八万四千の法門」などとよぶ。逆にいえば、教条的なドグマは存在せず、異端もありえない。
仏教(ぶっきょう)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

 これを中村元先生は解りやすく次のように説明しておられる。

仏教には特定の教義がありません。ブッダは自分の教えを定型化して説くことを望まず、その人に応じ、その状況に応じて法を説いたのです。ですから、さとりの内容も聞いた人によっていろいろな受け取り方をしているわけです。

中村元『ブッダ伝 生涯と思想』

 そして神道にも教義はない。そのためこの三つの信仰は他宗教と衝突することがなく、共存することができる。

 これに対して儒教では、四書五経などの経典に書かれていることが真理であり、教条主義そのものである。人文科学に正解は存在しないという原則が通用せず、型にはまった考え方しか許されない。宇宙を貫く絶対的、客観的な真理をもとめるというような性質はない。このことが、儒教国からは自然科学のノーベル賞受賞者が一人も出ていない原因の一つであろう。

 例えば孔子は、肉親が亡くなったとき悲しまないような者はどうしようもないといっている。そのためか韓国では葬式の時などに、それまで家族で談笑していても、人が訪ねて来ると泣き始めねばならないそうだ。一方、仏教国ではどうか。昔製作されたテレビ番組の仏教に関するドキュメンタリーで原始仏教国のミャンマーを取材していたが、「現代の阿羅漢」と呼ばれる高僧が登場し、親族の亡骸のまわりで泣いている家族に向かって、「人は皆死ぬのだから悲しむな」と言っていた。これは釈尊の教えで、死を迎える時にも弟子のアーナンダに向かってやはり同じように諭している。

やめよ、アーナンダよ。悲しむな。嘆くな。わたしは、あらかじめこのように説いたではないか、──すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破壊しないように、ということが、どうしてありえようか。そのようなことわりは存在しない。(『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』)

中村元『ブッダ伝 生涯と思想』

 これが実践されていたのはかつての日本で、『逝きし世の面影』には、西洋からの観察者たちが、日本の葬列の陽気さに呆れさせられていたことがいくつも紹介されている。

ヴェルナーも長崎で葬列に出会い、参列者が「快活に軽口を飛ばし、笑い声をたててい」るのを見た。「死は日本人にとって忌むべきことではけっしてない。日本人は死の訪れを避けがたいことと考え、ふだんから心の準備をしているのだ」と、彼は思わずにはいられなかった。長崎は特別だったのだろうか。いや、神奈川宿に住んだマーガレット・バラは当地の葬送の風習を紹介するついでに、「いつまでも悲しんでいられないのは日本人のきわだった特質の一つです。生きていることを喜びあおうという風潮が強いせいでしょう。誰かの言葉に『自然がいつも明るく美しいところでは、住民はその風景に心がなごみ、明るく楽しくなる』というのがありましたね。この国の人たちがまさにそれで、日本人はいつのまにかそういう自然に感化され、いつも陽気で、見た目によいものを求めながら自分を深めてゆくのです」と述べている。

 もう一つ挙げておく。

ベーコンも言っている。「葬式の行列は印象深い見ものだ。しかも知識のない外国人の目には陽気な光景である。参列者の白い衣や明るい色の着物、僧侶の衣、白布と金で飾られた棺、高く掲げられた赤や白の旗、陽気な色の沢山の花束には、悲しげで陰気なものは何もないからだ。白い絹の装いをした会葬者は見たところ一向悲しそうな顔つきに見えず、西洋人の心には行列の目的がまったく思い浮かばない。それは葬列よりむしろ婚礼の行列のように見える」。このように述べたあと彼女は、しかし墓場までついてゆけば、棺にぬかずいて榊や線香を捧げる人びとの悲嘆が痛切に感じられ、今後葬列に出会うと、それが悲しい光景に見えてくるとつけ加えている。

 自分も中学か高校の教師が、「昔は葬式で泣く者などいなかった」と言っていたのを覚えている。もちろんこれは死の状況によって異なるであろうが。

 ただこうした日本の面影が完全に失われてしまったかといえばそうではない。自分の母親が明け方病院で亡くなった後、車で家に運ばれたその重量級の遺体を自分も含めて家の中に運び込む人々には悲壮感はまるでなく、その後母親の兄弟姉妹など親戚の人々も笑顔で家を訪れ、自分も笑顔でこれを迎えた。この悲しんでいるはずの人々は母親の顔を見て、死んだ祖父によく似ているなどと笑顔で話していた。

 その昔、浜田省吾のアルバム『J.BOY』が発表された時、それはもう社会現象となるほどこの作品は大変な熱気をもって日本の世に迎えられたが、当時ラジオでこれを聴いた父親が気に入り、とくに『想い出のファイヤー・ストーム』が良かったと言っていた。この歌は次のように結ばれている。

答など無いのさ
悲しむことはない
すべては移ろい消えてゆく

 この「諸行無常」の教えは日本の社会に溶け込んでおり、未だ日本人の心を打つものがある。

 さて、この釈尊の教えは先述の孔子の言葉と矛盾するところがあるが、しかしこれは多分どちらかが正しくてどちらかが間違っているということではなく、真実の別々の側面であって、相容れないものではないであろう。誰もがダンマの前に謙虚であり、これを実践するならば、無用の対立を防ぐことができるのではないだろうか。そしてこのダンマを学ぶには、原始仏教を学ぶのが最適であると信じている。