蓮華草のブログ

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。(中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫)

ダンマパダで学ぶパーリ語 133 (296-301.)

296.

Suppabuddhaṃ pabujjhanti sadā gotama-sāvakā,

よく目覚めて   目覚む   常に ゴータマの弟子達は

yesaṃ divā ca ratto ca niccaṃ buddha-gatā sati.

所の者の  昼夜に   常に 仏に向けられたる 念が

(ゴータマの弟子たちは常によく目覚め、その念は常に昼夜に仏に向けられたり。)

ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に仏を念じている。

 suppabuddhaṃ: adv. suppabuddha の acc. sg.*1

  suppabuddha: su- + pabuddha*2

   su-: pref. よき, 善き, 良き, 妙(たえ)なる, 易き, 極めて

   pabuddha: pabujjhati の pp.*3  目覚めたる

    pabujjhati: [pa-bujjhati] 目をさます, 目覚めている

     pa-: pref. 前に, 先に, 強意. 始動を意味する*4

     bujjhati: =bodhati  [√budh(a)]*5 覚る, 目覚む

 pabujjhanti: pabujjhati の pl.

 sadā: adv. 常に

 gotama-sāvakā: gotama-sāvaka の nom. pl.

  gotama: m. [Sk. BSk. gautama] 瞿曇, 喬答摩 [釈迦族の姓, 釈尊を指すこと多し]

  sāvaka: m. 声聞, 弟子

 yesaṃ: ya の gen. pl. m.*6

  ya: pron. rel. 所のもの

 divā ca ratto ca: 昼夜に

  divā: adv. [diva の abl.]*7 日中に

   diva: m. 日, 昼

  ca: conj. と, そして, また

  ratto: [ratta または ratti の loc.]*8 夜に

   ratta: n. 夜  f. ratti, rattā

 niccaṃ: adv. [nicca の acc.]*9 常に

  nicca: a. 常の, 常住の

 buddha-gatā: buddha-gata の nom. sg. f.

  buddha-gata: a. 仏に向けたる

   buddha: a. m. [bujjhati の pp.]*10 覚った, 目覚めたる, 覚知せる; 覚者, 仏陀, 仏

   gata: a. [gacchati の pp.]*11 行ける, 達せる, 関係せる; 様子, 姿

    gacchati: [√gam(u)]*12 行く

 sati: f. 念, 憶念, 記憶, 正念  nom. sg.

 

297.

Suppabuddhaṃ pabujjhanti sadā gotamasāvakā,

よく目覚めて   目覚む   常に ゴータマの弟子達は

yesaṃ divā ca ratto ca niccaṃ dhamma-gatā sati.

所の者の  昼夜に   常に 法に向けられたる 念が

(ゴータマの弟子たちは常によく目覚め、その念は常に昼夜に法に向けられたり。)

ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜もつねに法を念じている。

 dhamma: [dhar-ma]*13 m. n. 法, 教法, 真理, 正義

  √dhar(a): [Sk. dhṛ] 持す

  -ma: 抽象名詞, 動作主名詞, 形容詞を形成する*14

 

298.

Suppabuddhaṃ pabujjhanti sadā gotamasāvakā,

よく目覚めて   目覚む   常に ゴータマの弟子達は

yesaṃ divā ca ratto ca niccaṃ saṅgha-gatā sati.

所の者の  昼夜に   常に 僧伽に向けられたる 念が

(ゴータマの弟子たちは常によく目覚め、その念は常に昼夜に僧伽に向けられたり。)

ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常にサンガ(修行者のつどい)を念じている。

 saṅgha: m. 衆, 衆団, 僧伽, 僧, 僧団, 教団, 和合衆

 

299.

Suppabuddhaṃ pabujjhanti sadā gotamasāvakā,

よく目覚めて   目覚む   常に ゴータマの弟子達は

yesaṃ divā ca ratto ca niccaṃ kāya-gatā sati.

所の者の  昼夜に   常に 身体に向けられたる 念が

(ゴータマの弟子たちは常によく目覚め、その念は常に昼夜に身体に向けられたり。)

ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に身体(の真相)を念じている。

 kāya: m. 身, 身体, 集まり

 

300.

Suppabuddhaṃ pabujjhanti sadā gotamasāvakā,

よく目覚めて   目覚む   常に ゴータマの弟子達は

yesaṃ divā ca ratto ca ahiṃsāya rato mano.

所の者の  昼夜に   不害を 楽しめる 心が

(ゴータマの弟子たちは常によく目覚め、その心は昼夜に不害を楽しめり。)

ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も不傷害を楽しんでいる。

 ahiṃsāya: ahiṃsā の dat. sg.*15

  ahiṃsā: f. [a-hiṃsā] 不害, 無害

   a-: pref. 否定を示す. 無, 非, 不

   hiṃsā: f. [hiṃs-ā] 殺, 害

    √hiṃs(a): 害す

    : 女性名詞を形成する*16

 rato: rata の nom. sg. m.

  rata: a. [ramati の pp. ]*17 楽しめる, 愛好せる

   ramati: [√ram(u)] 楽しむ, 喜ぶ

 mano: manas の nom. sg.*18

  manas: n. 意, 心

 

301.

Suppabuddhaṃ pabujjhanti sadā gotamasāvakā,

よく目覚めて   目覚む   常に ゴータマの弟子達は

yesaṃ divā ca ratto ca bhāvanāya rato mano.

所の者の  昼夜に   瞑想を 楽しめる 心が

(ゴータマの弟子たちは常によく目覚め、その心は昼夜に瞑想を楽しめり。)

ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も瞑想を楽しんでいる。

 bhāvanāya: bhāvanā の dat. sg.

  bhāvanā: f. [<bhāveti] 修習, 修, 修行

   bhāveti: [bhavati の caus.]*19 あらしむ, 修習す, 修す

    bhavati: [√bhū]*20 ある, 存在する