薪(まき)割りというと、映画などでは薪を薪割り台の上に置いた状態でエイッとばかりにナタを振り下ろし、真っ二つに割れた薪がピョーンと飛んで行ったりするが、確かに豪快で絵にはなるがあれはNGで、割り損ねれば薪もナタもどこに飛んで行くかわからず大変危険である。キャンプなどを趣味としている人なら誰でも知っていることであろうが、実際には、利き手でないほうの手で薪を固定し、その上にナタの刃を当てた状態で持ち上げ、トントンと薪割り台に落としてナタの重量で刃をある程度食い込ませ、そのあと両手でナタをつかみ、トントンと持ち上げては下ろすを繰り返して割っていく。地味ではあるがこれが正しいやり方である。他にも軍手などは薪をつかむ手だけにして、滑らぬようにナタは素手で持たなければならないなど、押さえておかなければならない点がいくつかある。
昔テレビで、教師か誰か引率者が子供たちの前で薪割りをして見せたのだが、片手で薪を持ったままナタを振り下ろして怪我をするのを見て唖然とさせられたことがあった。自分は薪割りの基本的なことは知っていたが、それは子供の頃、飯盒炊爨(はんごうすいさん)のときに教わったからであって、それがなかったらそんな知識はない。この方はそのような経験がなかったのであろう。このように薪割り一つとっても知らずにやると怪我をする恐れがある。もし他人(ひと)にやらせる場合には薪割りの経験があるかどうか確認し、なければ実際にやって見せて注意事項を与え、次にやらせてみて大丈夫かどうかを確認し、またたとえ経験があったとしても、やはり自分の目で見て確認した上でやらせなければならない。これらのことを怠り他人にやらせて怪我をさせてしまった場合には、すべての責めはやらせた側が負わなければならない。
二〇一六年一月、軽井沢で乗員乗客四一名を乗せた大型スキーツアーバスが制限時速五〇キロの緩やかな下り坂で時速九六キロの速度でガードレールに突進して道路わきに転落し、一五名が死亡、他の全員が負傷するという凄惨な事故が起きた。この原因についてははっきりしたことはわかっていないようだが、その後の調査でギアがニュートラルになっていたことが判明している。乗用車であってもエンジンブレーキが効かないニュートラルの状態でフットブレーキだけを頼りに下り坂を駆け下るというのは怖ろしい話である。大型バスやトラックにはフットブレーキの外に排気ブレーキや圧縮開放ブレーキと呼ばれる補助ブレーキがついているが、これらはシリンダーの動きを抑制してエンジンブレーキの効きをよくするような性質のもので、ギアがニュートラルの状態では役には立たない。もう一つリターダと呼ばれるものもあり、これは動力を伝えるプロペラシャフトの回転を抑制するもので、エンジンやトランスミッションの状態に関係なく効き、しかも補助ブレーキの中では最も大きな制動力が得られる。これがあればフットブレーキに頼ることはほとんどないそうだが、日本では大型バスでの普及率は低く、事故を起こした車両にも搭載されていなかった。これに関連して、マニュアルトランスミッションの構造について少し触れておきたい。
以下はエンジン縦置きのFRの場合だが、エンジンの動力はクラッチを介してインプットシャフト(回転軸)に伝えられ、これに固定されたギア(歯車)がカウンターシャフトのギアを回転させ、これが出力を駆動系に伝えるアウトプットシャフト側のギアを回転させる。ギア自体はすべて常時噛み合っているが、ニュートラルの状態では、アウトプット側のギアとシャフトは固定されていない状態になっており、シャフトは駆動輪の回転に応じて、ギアはクラッチがつながっていればエンジンの回転に応じて回り、クラッチを切れば回転数は低下する。そしてシフトレバーを操作してアウトプットシャフトと三速なら三速のギアとを連結させることによって動力が伝えられるのだが、このギアとシャフトの回転が合っていないと連結することができない。そのため通常はシンクロナイザーと呼ばれる機構が取り付けられていて、これはシャフトと共に回転しているシンクロナイザーリングがシフトレバーの操作によってギアに固定されているシンクロナイザーコーンに押しつけられ、その摩擦によって回転を同期させ、スリーブと呼ばれる部品を移動させることによって連結される(以下の動画参照)。また、破損を防ぐため同期が完了するまでは移動できないようになっている。
たとえばシフトダウンのときやクラッチを踏みっぱなしにしてギアの回転数を落としてしまっているときなど、ギアとシャフトの回転差が大きくなっている場合には、すぐには同期できないため、じっくりとシフトレバーを操作してシンクロをよく効かせてやる必要がある。しかしこの方法では部品を摩耗させ寿命を縮めてしまう。一番いいのは、ニュートラルの状態でクラッチをつなぎ、アクセルをあおることによってギアとシャフトの回転差を少なくし、すかさずクラッチを切ってシフトレバーを操作し、ギアとシャフトをつないでやることだ(ダブル・クラッチ)。これによってシンクロの負担は減り、またうまく合わせれば何の抵抗もなく吸い込まれるようにシフト操作ができ、直ちにクラッチをつなげば衝撃はゼロになる。こうすることでトランスミッションに負担をかけないギアチェンジが可能となり、部品の寿命も大幅に伸びる。また、シフトダウンがうまくできるようになればエンジンブレーキを効果的に使えるようになり、フットブレーキの負担も減ってブレーキバッドの寿命も大幅に伸びる。前に乗っていた車は十五万キロ以上乗っていたはずだが、とうとうブレーキパッドは交換せずに済んだ。そのかわり、スロットルボディーが壊れて交換しなければならなかったが。
しかしこのダブルクラッチは、口で言うのは簡単だが、操作には技術を要する。まず上記のようなトランスミッションの構造を、少なくとも概念的にでも理解していないと無理である。たとえばクラッチを踏んだ状態でエンジン回転数だけ合わせても、肝心のギアとシャフトの回転は合わない。また、クラッチを切る→ニュートラルにする→クラッチをつなぐ→アクセルをあおって回転を合わせる→クラッチを切る→シフト操作する→クラッチをつなぐ、という一連の動作をスムーズに行なえるようになるには慣れが必要である。自分も慣れるまでは、たとえば走行中にエンジンの回転数を確認し、ギアをニュートラルにしてクラッチをつなぎ、エンジンとギアの回転を落とした状態でアクセルをあおって回転を合わせ、すかさずクラッチを踏んでシフト操作してまたクラッチをつなぐなどの練習をした。何事も技術を習得するには訓練が必要である。
余談になるが、素早いギアチェンジが求められるスポーツ走行においてはこのダブルクラッチの技術が必要となり、スロットルレスポンスのよさがその素早さの鍵となる。つまり、シフトアップの時にはエンジンの回転数が落ちるのが早いほど有利で、シフトダウンのときにはフケ(吹け上がり=回転の上昇)がよいほど素早くできる。ポルシェやスバルで採用されている水平対向エンジンは向かい合ったシリンダーが互いの衝撃を打ち消し合うため、他のレイアウトで必要となるバランサーなどの振動を抑えるための部品が不要なためレスポンスが鋭く、これは昔の漫画の『サーキットの狼』にも出てくる話だが、アクセルをポンと吹かせばタコメーターの針は鋭く跳ね上がり、走行中にアクセルを戻してクラッチを切れば一気に落下する。そのためこれらの車両では素早いギアチェンジができ、電光石火の如きシフトダウンも可能となる。
なお先述のトランスミッションの構造はエンジンを縦置きにしているFRのもので、トップギア(五速ミッションなら四速)のときにはインプットシャフトとアウトプットシャフトが直結されるため、エンジンの動力はギアを介さず直接駆動側に伝達される。この状態では減速比 1:1 の等回転であるため「トップ」と呼ばれ、五速ミッションの五速はエンジンよりもアウトプットシャフトは早く回転するため「オーバートップ」と呼ばれる。乗用車では主流であるFFトランスミッションの構造は話がややこしくてとても説明できないが、以下の動画で極めて解りやすく解説されているので、興味のある方はご覧いただきたい。なおシンクロナイザーの構造自体はFFもFRも同じである。
趣味の話題はこれぐらいにして話をもとに戻す。バスはリアエンジンであるためトランスミッションの操作は、昔はストロークの長いシフトレバーによって長大なロッド(棒)を介して行なっていて大変だったそうだが、現在ではフィンガーシフトと呼ばれるものが主流になっている。このシステムでは運転席についているシフトレバーはいわばリモコンなようなものであり、クラッチの操作は自分でしなければならないが、実際のギアチェンジはアクチュエーター(駆動装置)によって行なわれる。シフトレバーを指先で操作できることから「フィンガーシフト」と名付けられた。これにより運転手の負担を大幅に減らすことができ、またロッドが要らない分、バスの低床化も可能になった。いいことづくめのようだが難点もあり、まずアクチュエーターは圧縮空気によって動作するためタイムラグが発生し、操作には慣れが必要らしい。シフトノブを介してトランスミッションの状態を知るということもできない。以下のようにYAHOO知恵袋で大型バスのギアチェンジが上手くいかないと相談されている方もおられる。
このシステムでは、これはまったく問題ではないが、エンジンのオーヴァーレヴ(過回転)が起きるようなシフト操作はキャンセルされる。エンジンの破損を防ぐために必要な機能で、この件に関しては軽井沢のバス事故の記事にも多く触れられている。しかし触れられていないのは、ある書き込みでは、このフィンガーシフトは回転が合わない限りギアはニュートラルのままだとしてあった。どうやらギアとシャフトの回転差が大きい場合にも操作はキャンセルされるようなのだ。おそらく、トランスミッションの部品の摩耗や破損を防ぐため、このような仕様になっているのであろう。だとすれば、ギアとシャフトの回転差が大きい場合には、ダブルクラッチを行なわないとギアチェンジできないということになる。これを裏付けるように、前掲のYAHOO知恵袋の回答にも、「シフトダウン、特に3速→2速ではダブルクラッチを踏んでください」としてある。しかしこれも大きな問題とは思わない。回転合わせなどプロの運転手ならできて当たり前の技術であるからだ。問題はこのことが運転手や管理者等の間に共有されているかどうかで、当然のことながら普通はできているようだが、事故を起こした会社ではできていなかったのであろう。
それにしても、と思うのは、この質問者の方はプロから学んだ経験がなく、周囲に誰も訊く相手がいないことが判る。やむなくネットで質問しているわけだが、このようなことで果たして大丈夫なのであろうか。先述のように、よくわからない人に「ダブルクラッチを踏んでください」と言ったところで、できるものではない。この方も事故を起こされる可能性が高いと思われる。
軽井沢のバス事故を起こした会社はもとは警備会社で、貸し切りバス事業に参入してから二年ほどしかたっていなかった。入社時の適性検査を怠るなど管理がずさんで、事故の二日前には行政処分も受けていた。常識的に考えれば、新規であれば社内にはその道のプロはいないのだから、参入するには少なくともバス運行会社の経営のプロ、車両整備のプロ、運転手の管理・技術指導・養成、そして運行安全管理のプロなどの人材を社外から連れてくる必要がある。これは今日でも尾を引いていることだが、二〇〇〇年代の規制緩和によってバスやタクシー事業への新規参入が容易になり、事業者が急速に増え、過当競争が起き、運転手は不足し、労働条件は厳しくなったのに反して収入は減り、高齢化も進んだため、そのような人材の確保は難しかったであろう。そもそもその必要性を感じていたのかどうかも疑わしい。この事故の裁判で有罪判決を受けた社長は、もとは中古車販売の営業マンで、後に警備会社の社長となった人物のようで、バス運行会社での経験はなかった。
この事故の第一審裁判では、「技量の確認や十分な訓練を行わなかったため、事故は発生した」として運行会社社長と運行管理者に実刑判決が下った。弁護側は、この事故は運転手がブレーキを踏まなかったことが原因であったとし、「ブレーキを踏まないなどということは予見できないのだから、たとえ技量の確認が不十分であったとしても事故とは関係がない」と主張したが、それはあり得ない話で、監視カメラにもブレーキランプを点灯させたままバスが疾走して行く映像がとらえられており、ブレーキに何らかの異常が起きていたのは明らかであろう。
以下の記事の、運送会社社長で経営と運行管理のプロの方との対談でも、新人運転手の運転技術を確認することは当たり前で、これをせずに運転させるなど怖ろしくてできないと仰っており、それはどの会社の社長も同じだそうである。事故を起こした会社はなぜそんな怖ろしいことができたかといえば、おそらくそれが怖ろしいことであるとは認識していなかったからなのであろう。
なお上記の対談で問題だと思われたのは、新人教育を運転手任せにしている点で、人によって言うことが異なるためやはり混乱が生じるらしい。たとえばこのような仕事は高齢者でも可能なため、会社で最も優秀で人望もあった定年退職者などを指導者として再雇用して技術指導に当たってもらえばいい結果が得られるのではないだろうか。空き時間にはマニュアルを作成してもらえばいい。そして皆で意見を出し合えば良いものになるであろう。
二〇二二年四月、知床沖で遊覧船が沈没し、乗員乗客二六名全員が犠牲となった。事故を起こした会社の社長には業界経験はなく、船や海や遊覧船事業経営のことは何もわからない素人であった。この社長は、ベテランの船長が天候の悪化を予期して出航を見合わせると、「こんな日になぜ出航しない!」と叱責していたという。そのときその船長の胸にあった思いはこのようなものであっただろう。
「お前に何がわかる」
結局、熟練の船長は突然に解雇された。解雇した社長は人件費が浮いたと喜んでいたそうだ。同業他社では船の操縦を任せるまでには見習いを四年、最低でも三年はやらせるそうだが、この時、事故を起こした船長は甲板員(乗組員)になってからわずか四ヶ月しか経っていなかった。報道では引継ぎが不十分、経験不足などとされているが、技術の引継ぎには三年はかかるということだ。四ヶ月の見習い期間では、この後何年やったところで一人前にはなれなかった可能性が高い。念のために説明しておくが、「見習い」とは熟練社員や中堅社員などについて助手などをしながら仕事を見て習い覚えることをいう。一人で仕事をさせていては見習うことができない。他社の人々はこの解雇のことを聞いたとき、「なめてんじゃないよ」と言っていたという。さらに不運なことに、船の整備をしていた社員も同時期に定年退職した。こうしてノウハウは失われ、素人集団となった。そして悲劇は繰り返された。
これは結論として言えることだが、会社に就職する際には、その経営者がその仕事について、どこで何年学び、どこでどれだけの修行をし、どこでどれほどの実績をあげてきたのかを調べたほうがいい。昔は、いやしくも会社経営者たるものは、こうした要件をすべて備えているものとばかり思っていたのだが、実際はまったくそんなことはない。もちろん、畑違いの事業で成功する人々はいくらでもいるであろうが、そのような人たちは、自分のわからない仕事はわかる者に任せるだけの謙虚さをもっている。世の中そのような人ばかりではない。昔はおかしな仕事をしていれば信用を失い、そのような会社は淘汰されたであろうが、近隣諸国同様、日本もコネが物をいうようになり、コネさえあれば何をやろうが淘汰されない世となってきている。
コロナ禍でリモートワークが推奨されていたとき、確かゴールドマンサックスだったと思うが、そこでは実質上の徒弟制度の中で人材育成をしており、リモートワークなどナンセンスだといっていて、まったくその通りだと感心したが、ロスチャイルドにはそのような風土があるのであろう。不祥事つづきの某航空機メーカーと違ってエアバスなどからはそのような話が聞かれないのは、これも一つの理由かもしれない。薪割り程度であればネットで調べればわかるが、仕事となるとそうはいかない。書籍であっても、以前自分の関わる仕事に関して勉強しなおそうと本を買って読んだことがあるが、通り一遍のことしか書いておらず、実践的な話は何もなく、結局は金を払って講習を受けるか、実地に覚えていくしかないな、というのが感想であった。こういうものを読んで解ったような気になったとしたら、それはただの勘違いである。
最後に、安全管理について、原丈人さんの『「公益」資本主義』に、思わずうならされた記述があったので紹介しておきたい。
東海旅客鉄道(JR東海)の葛西敬之名誉会長から聞いた印象深いエピソードがあります。
2000年にニューヨークで外国人株主向けに経営報告を行なった際、ある株主から質問が出たそうです。
「他の鉄道会社に比べて、短い年数で新しい車両に交換してしまうのはなぜか?」
確かに償却後の車両を使い続ければ、利益は増え、株主はより多くの配当を手にできます。会社は株主のものと信じるアメリカ人投資家からすれば当然の疑問でしょう。葛西さんは、胸を張ってこう答えたそうです。
「わが社は株主利益をもちろん大切にするが、それ以上に大切なものがある。乗客の安全です」
1964年の開業以来、東海道新幹線は乗客の死亡事故を一度も起こしていない。なぜそれが可能かといえば、「乗客の安全のために必要だ」と現場が判断したすべてを叶えているからだ。経営陣は、「どこまでやれば安全なのか」は分からない。だからこそ、「ここまでやってください」という現場の要求は、経営陣としてすべて受け入れる。車両の交換も、そうした判断に基づいている。利用者が「新幹線には絶対事故がない」と安心して乗ってくれるからこそ、会社は儲かって、給料も出せるし、株主配当も出せる。
そのように答えて、「そこを削れというんですか」と問いただしたところ、株主も引き下がらず、「会社は株主のものというのが原則でしょう。あなた、社長のくせにそんなことも知らないのか。失格じゃないか」と。
要するに、「株主の利益を最大にするために、事故を起こせとは言わないが、安全対策もやりすぎるな。地域社会に貢献する必要などない。お金を絞り出して、全部配当にして出せ」というのが株主資本主義の立場からの主張となります。
しかし、葛西さんは一歩も引きませんでした。
「顧客の安全について責任をもっているのは、株主ではない。従業員だ。だから授業員は大切だ」
すると、株主が怒って、「社長、退陣だ!」と大声を上げれば、葛西さんも「会社の経営方針が納得できないのならば、株を売れ」と冷静に返答したそうです。