「仕」も「事」も「つかえる」と読み、「仕」は「士」の文字が見られるように戦士階級が出仕すること、「事」はもとは神につかえることを意味し、後には王につかえることにも使われるようになり、前者を「大事」、後者を「小事」と呼んだ。日本人はもとからある「しごと」の言葉に、かつては「為事(事(つかえる)を為(な)す)」の文字をあて、今の文字になったのは江戸時代からのことらしい。いずれにしても日本人は一貫して「しごと」とは「つかえる」ことと認識して来た。日本人は仕える人々であった。
「仕事」の別表記で、何かの職務や任務、役目などを意味する語。「事(つかえる)を為す」という意味から生じた言葉。
では何に仕えて来たのか。それは「奉公」の言葉に表われているように、日本人にとって仕事とは公に奉ずる(たてまつる、うけたまわる、仕える、尽くす)ことであり、仕事に出ることを「奉公に出る」と表現した。これは日本人が自分の仕える主家や店などを「公」として認識し、これに献身して来たことを示している。
この仕える人々には主(あるじ=中心となる者)がいた。国には領主が、地域社会には庄屋や名主が、家には戸主(こしゅ)が、店には店主が、会社には社主がいた。これに仕え、己れの分をわきまえ、謙虚であることが要求された。己れを中心とするようなことはなかった。この仕える人々は必ずしも自分自身がそう立派である必要はなかった。しかし主となる者はそれなりの人物であることが期待され、またそうあろうとした。そしてこれに仕えることは公に仕えることと同じであった。日本人は公に仕える人々であった。
戦後GHQにより社会制度が破壊され、家からは戸主がいなくなり、店主は店長、社主は社長に格下げされた。それでも昭和のうちは公に仕える習慣は残り、会社や組織に奉じ、それらもその信頼と献身にこたえた。これが戦後の復興・経済発展を支えた。しかしその後はそのような精神は徐々に失われ、中心を失った人々は己れを中心とするよう教育され、そしてそのようになった。
日本にとって幸いなのは、未だ国家の中心たる天皇があらせられること。これがおかしなことになれば、タガが外れてしまうようなことになるだろう。